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第二寝屋川と恩智川が合流する町
東大阪市玉串町東
日本の物作りを支える様々な工場が立ち並び
今では一般住宅も増えましたが
昔は周りを遮る建物はほとんどなく
幼少期から東大阪市で育った
代表である鉄工職人の田口さんによれば
町の様子は大きく変わったそうです。
元々 農家だった田口さんの父親が弟さんと
地元の溶接工の職人さんから仕事を教わり
昭和34年に兄弟で鉄工屋を立ち上げたのがはじまりで
当時、同じ東大阪市内にあった住居隣の工場で
鉄仕事をしていたものの
宅地であったことから立ち退き命令を受け
ここ玉串町東に昭和54年に工場を移転
以来 65年経った今でもずっとこの地で
様々な相談や依頼を受け活動されています。
第二寝屋川と恩智川が合流する町
東大阪市玉串町東
日本の物作りを支える様々な工場が立ち並び
今では一般住宅も増えましたが
昔は周りを遮る建物はほとんどなく
幼少期から東大阪市で育った
代表である鉄工職人の田口さんによれば
町の様子は大きく変わったそうです。
元々 農家だった田口さんの父親が弟さんと
地元の溶接工の職人さんから仕事を教わり
昭和34年に兄弟で鉄工屋を立ち上げたのがはじまりで
当時、同じ東大阪市内にあった住居隣の工場で
鉄仕事をしていたものの
宅地であったことから立ち退き命令を受け
ここ玉串町東に昭和54年に工場を移転
以来 65年経った今でもずっとこの地で
様々な相談や依頼を受け活動されています。
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幼少期から父親が働く工場を通って
表に遊びに出掛けていたという田口さん
モトクロスを乗り回すなどバイクが好きで
将来は白バイ隊員など
バイクに関わる仕事がしたいと夢見ていたそうですが
当時、バブル絶頂期とあって鉄工の仕事が多忙を極め
母親から早く助けてと半ば手伝わされる形で
18歳から田口鉄工建設で
本格的に職人としてのキャリアをスタートされました。
いざ田口さんが働き出してみると
朝から晩までの仕事が三ヶ月間1日も休みなく続き
若かりし頃の田口さんであっても
流石に体力的にしんどかったことから
月一で良いからと休みをくれと頼んで
ようやくその願いが通ったものの
その分残業が延び22時まで働くことが増えたそうです。
幼少期から父親が働く工場を通って
表に遊びに出掛けていたという田口さん
モトクロスを乗り回すなどバイクが好きで
将来は白バイ隊員など
バイクに関わる仕事がしたいと夢見ていたそうですが
当時、バブル絶頂期とあって鉄工の仕事が多忙を極め
母親から早く助けてと半ば手伝わされる形で
18歳から田口鉄工建設で
本格的に職人としてのキャリアをスタートされました。
いざ田口さんが働き出してみると
朝から晩までの仕事が三ヶ月間1日も休みなく続き
若かりし頃の田口さんであっても
流石に体力的にしんどかったことから
月一で良いからと休みをくれと頼んで
ようやくその願いが通ったものの
その分残業が延び22時まで働くことが増えたそうです。
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そんな田口さんが溶接工として
父親が経営する会社で働くも
そのお父さんの体調が悪くなったことで
番頭だった先輩から鉄仕事の様々なことを教わり
当時CADがないため工場の裏の広い部屋で
墨ツボを使って実寸大の屋根を描き
階段の形など原寸図で展開する方法を学んだこと
建築に関する細かい加工図、鉄板の大きさ
どういう取り合いをするのか?
どこにどうボルトを取り付けるのか?など
鉄工の仕事は
頭の中でイメージできないと図面が描けず
今のように三次元ではなく
長い間二次元しかない環境でやってきたからこそ
様々な依頼に対応できる引き出しが増え
その図面が読める読めないで
仕事の出来が大きく変わってくるそうです。
そんな田口さんが溶接工として
父親が経営する会社で働くも
そのお父さんの体調が悪くなったことで
番頭だった先輩から鉄仕事の様々なことを教わり
当時CADがないため工場の裏の広い部屋で
墨ツボを使って実寸大の屋根を描き
階段の形など原寸図で展開する方法を学んだこと
建築に関する細かい加工図、鉄板の大きさ
どういう取り合いをするのか?
どこにどうボルトを取り付けるのか?など
鉄工の仕事は
頭の中でイメージできないと図面が描けず
今のように三次元ではなく
長い間二次元しかない環境でやってきたからこそ
様々な依頼に対応できる引き出しが増え
その図面が読める読めないで
仕事の出来が大きく変わってくるそうです。
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田口さんが25歳になった頃には
それまで番頭さんが見積もりから図面など
会社のコンダクターを担っていたものの
「そろそろお前もやってかないとアカンよ」と言われ
会社の運営に関する事務作業にも携わると
これまでの朝から夕方まで鉄工・溶接作業をした後に
夜な夜なデスクワークという生活スタイルになり
イチ従業員から経営者へと意識が変わったそうです。
そして27歳で結婚し
父親が亡くなった43歳の時に
正式に田口鉄工建設の代表取締役となり
バブルが弾けたときも徐々に仕事量が減るも
それでも赤字になるまでには至らず
父親がこれまで築いてきた関係を継承
田口さんが25歳になった頃には
それまで番頭さんが見積もりから図面など
会社のコンダクターを担っていたものの
「そろそろお前もやってかないとアカンよ」と言われ
会社の運営に関する事務作業にも携わると
これまでの朝から夕方まで鉄工・溶接作業をした後に
夜な夜なデスクワークという生活スタイルになり
イチ従業員から経営者へと意識が変わったそうです。
そして27歳で結婚し
父親が亡くなった43歳の時に
正式に田口鉄工建設の代表取締役となり
バブルが弾けたときも徐々に仕事量が減るも
それでも赤字になるまでには至らず
父親がこれまで築いてきた関係を継承
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父親が運営していた当時
今ほど周囲に工務店などがなく
田口鉄工建設さんでは
その仕事のほとんどが直接受注されていました。
時代が移り変わってハウスメーカーが台頭し
アルミやステンレスなど
様々な鋼材が建築業界で使われるようになり
鉄の需要が減ったかのように見えますが
田口さんによると
加工のし易さやコスト面
古い家がたくさん残る日本では
鉄工の仕事はまだまだ必要とされ…
父親が運営していた当時
今ほど周囲に工務店などがなく
田口鉄工建設さんでは
その仕事のほとんどが直接受注されていました。
時代が移り変わってハウスメーカーが台頭し
アルミやステンレスなど
様々な鋼材が建築業界で使われるようになり
鉄の需要が減ったかのように見えますが
田口さんによると
加工のし易さやコスト面
古い家がたくさん残る日本では
鉄工の仕事はまだまだ必要とされ…
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更に鉄工・溶接工を運営する会社自体が
昔に比べて後継ぎがいない問題から
廃業していっているところもあって
腕が良くて、経験値も高く
小さな工事だけでなく
大規模な鉄仕事にも柔軟に対応できる
そんな三拍子揃った田口鉄工建設さんには
東大阪だけに限らず
他府県からも依頼の相談があるそうで
今現在定期でやっている仕事の1つに
宇宙開発機構にある
衛星の振動実験室天井に取り付けられた
水平に動く特殊シャッターの定期点検
取り付けも田口さん自身でされたということから
年に一回 点検をしに行き
そのシャッター屋さんの仕事は全国にあるため
横浜や広島まで出張しているそうです。
更に鉄工・溶接工を運営する会社自体が
昔に比べて後継ぎがいない問題から
廃業していっているところもあって
腕が良くて、経験値も高く
小さな工事だけでなく
大規模な鉄仕事にも柔軟に対応できる
そんな三拍子揃った田口鉄工建設さんには
東大阪だけに限らず
他府県からも依頼の相談があるそうで
今現在定期でやっている仕事の1つに
宇宙開発機構にある
衛星の振動実験室天井に取り付けられた
水平に動く特殊シャッターの定期点検
取り付けも田口さん自身でされたということから
年に一回 点検をしに行き
そのシャッター屋さんの仕事は全国にあるため
横浜や広島まで出張しているそうです。
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そしてもう1つが
ウッドデッキの下地の鉄骨の仕事
木造であれば耐久性の問題で
柱が何本も必要になりますが
それを鉄骨にすれば柱を減らして
ウッドデッキの下を駐車スペースにすることができ
山手にある家でそういった需要が多く
その他、市が運営する公園遊具の修理依頼から
個人宅の細かな鉄仕事など
アルミ製のモノが主流で増えてきたとはいえ
アルミだと費用が高くなることもあり
昔のモノに愛着を持っているお客さんもまだまだいるため
鉄の需要が減っているように見えて
実は強度的に使わないといけない部分があるから
使用量はそこまで減っていなくて
何より、鉄だと金額が合いやすいのもメリット
そしてもう1つが
ウッドデッキの下地の鉄骨の仕事
木造であれば耐久性の問題で
柱が何本も必要になりますが
それを鉄骨にすれば柱を減らして
ウッドデッキの下を駐車スペースにすることができ
山手にある家でそういった需要が多く
その他、市が運営する公園遊具の修理依頼から
個人宅の細かな鉄仕事など
アルミ製のモノが主流で増えてきたとはいえ
アルミだと費用が高くなることもあり
昔のモノに愛着を持っているお客さんもまだまだいるため
鉄の需要が減っているように見えて
実は強度的に使わないといけない部分があるから
使用量はそこまで減っていなくて
何より、鉄だと金額が合いやすいのもメリット
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長年、鉄の加工や溶接仕事と
向き合い続けてきた田口さんの
最近のマイブームは財布やスマホケースも
自ら手作りしたレザークラフト(革細工)
そんな東大阪市にある田口鉄工建設さんは
作業場の敷地面積が広いことや
様々な種類の加工マシンが置いてあるため
大きな鉄製品を作ることも可能で
これまで通常の鉄階段だけでなく
螺旋階段や倉庫の鉄骨建方など
製造・運搬・設置までされていて
更に階段やカーポートデッキ、外構の鉄部、門扉など
鉄が使用されている腐食箇所を
出張で溶接修理をされていることから
企業さんだけでなく一般の方からの依頼も
数多くされているという、またそれは別のお話しで…
取材撮影&文 :
とくおか じゅん
長年、鉄の加工や溶接仕事と
向き合い続けてきた田口さんの
最近のマイブームは財布やスマホケースも
自ら手作りしたレザークラフト(革細工)
そんな東大阪市にある田口鉄工建設さんは
作業場の敷地面積が広いことや
様々な種類の加工マシンが置いてあるため
大きな鉄製品を作ることも可能で
これまで通常の鉄階段だけでなく
螺旋階段や倉庫の鉄骨建方など
製造・運搬・設置までされていて
更に階段やカーポートデッキ、外構の鉄部、門扉など
鉄が使用されている腐食箇所を
出張で溶接修理をされていることから
企業さんだけでなく一般の方からの依頼も
数多くされているという、またそれは別のお話しで…
取材撮影&文 :
とくおか じゅん