ありのままの魅力を活かす業
大阪堺市の大工である浦工務店の浦さん。
九州で生まれ育ち、高校卒業後 地元の工務店に入り、大工としてのキャリアをスタート。
厳しい指導の下、器械体操で鍛えた持ち前の粘りで着実に技術と経験を身に着けていき
今では銘木・変木を扱わせたらこの人!という程の存在です。
変木というのは一般的な製材された真っ直ぐな木とは違い
想像できないほどの形をした曲がった木ばかりで
ベテランの大工さんであっても変木を扱うのは至難の業で、どこに使えばいいのか?分かりません。
しかし、浦さんは行き場のない変木をこのまま埋もれたままにするのはもったいないと
吉野の銘木屋さんに足繫く通い続けることで
傍からは “ゴミの山” にしか見えないモノがいつしか浦さんにとっては “宝の山” となり
その中から変木を見つけた瞬間、完成図のイメージがすぐに湧くそうです。
そんな浦さんが扱う際は
変木を加工して自分の思い通りの形にするのではなく
変木は加工せず、その曲線に自分のイメージを合わせていくという方法。
模様に見えるモノも本当は虫が食べてできた通り道。
一般的にこういった木は不良品とみなされ使われることはありませんが
自然にできた偶然の産物、製材された木にはない変木の魅力で一種のアートだと仰っています。
玄関、上がり框、カウンター、建具、柱、欄間、床の間、飾り棚、階段、手すり、下駄箱、風呂、トイレ、台所・・・
浦さんが手掛けた現場に行くと、実に様々な場所に変木が使われていますが
ここまで柔軟に変木を扱うには技術はもちろん
長い年月をかけて変木と向き合い、実際に様々な現場で携わってこないと見えてこない
その道を追求し続ける者にしか分からない領域で
いっしょに現場に入る大工仲間の人たちは
浦さんの仕事ぶりにいつも感心するも、あまりのレベルの高さについてこれないこともあるとか・・・
九州の厳しい環境で鍛え上げられた浦さんのその対応力は
『 単価で手間を変えられ、宮大工も手伝えるほどの技術力 』 であり
大阪に来たときは建売住宅が主流で、周りにはそういった現場しか携わったことのない大工さんたちばかりで
当然 単価で手間を変えるという技術などなく、ただ目の前の仕事をこなすだけ・・・
どれだけ仕事の数をこなしていても、そこに質がなければ技術は磨かれていきませんし
ただ時間を掛けることが手間ではなく、工期内で質の高いモノを造り上げることがプロとしての仕事。
工期が延びて予算増では本末転倒です。
それを象徴するのが浦さんの代名詞とも呼ぶべきセンターエース。
三角関数を使って木の角度を出すというこの方法を独学で身に着け
これまで8角形をメインに造って来られましたが、自分の腕を鈍らせないためにと初の16角形に挑戦。
還暦を迎えても尚 仕事に対する向上心が衰えないそのバイタリティ。
一般的な大工さんなら10日はかかるかもしれないこの複雑なモノを浦さんは4日ほどで完成されました。
それもこれも浦さんの持つ技術と経験と知識があってこそ、なせる業です。
浦さんは変木を使った家造りをされていますが
ただ変木だけのことではなく、家の耐震性もちゃんと考えた上で施工されています。
特にリフォームの場合、築年数がかなり経っていることもあって
解体して老朽化している部分には金具で補強したり新たに梁を足したりするなど
銘木・変木を長く愛着を持って残していくためにも家の耐久性が重要なことは誰よりも知っておられます。
『 自分の仕事は和風も洋風もない 』 そのように話す浦さん。
単なる仕事ではなく、趣味の延長線上のような感覚も持っておられるため
既成概念に捉われることのない柔軟な発想と独自で積み重ねてきた引き出しの多さがあるため、どんなことにも対応できる。
それが浦工務店の最大のポイントです。
論より証拠。
浦さんが手掛けた現場を見たとき、改めてその言葉の説得力を感じました。
ありのままの魅力を活かす業
大阪堺市の大工である浦工務店の浦さん。
九州で生まれ育ち、高校卒業後 地元の工務店に入り、大工としてのキャリアをスタート。
厳しい指導の下、器械体操で鍛えた持ち前の粘りで着実に技術と経験を身に着けていき
今では銘木・変木を扱わせたらこの人!という程の存在です。
変木というのは一般的な製材された真っ直ぐな木とは違い
想像できないほどの形をした曲がった木ばかりで
ベテランの大工さんであっても変木を扱うのは至難の業で、どこに使えばいいのか?分かりません。
しかし、浦さんは行き場のない変木をこのまま埋もれたままにするのはもったいないと
吉野の銘木屋さんに足繫く通い続けることで
傍からは “ゴミの山” にしか見えないモノがいつしか浦さんにとっては “宝の山” となり
その中から変木を見つけた瞬間、完成図のイメージがすぐに湧くそうです。
そんな浦さんが扱う際は
変木を加工して自分の思い通りの形にするのではなく
変木は加工せず、その曲線に自分のイメージを合わせていくという方法。
模様に見えるモノも本当は虫が食べてできた通り道。
一般的にこういった木は不良品とみなされ使われることはありませんが
自然にできた偶然の産物、製材された木にはない変木の魅力で一種のアートだと仰っています。
玄関、上がり框、カウンター、建具、柱、欄間、床の間、飾り棚、階段、手すり、下駄箱、風呂、トイレ、台所・・・
浦さんが手掛けた現場に行くと、実に様々な場所に変木が使われていますが
ここまで柔軟に変木を扱うには技術はもちろん
長い年月をかけて変木と向き合い、実際に様々な現場で携わってこないと見えてこない
その道を追求し続ける者にしか分からない領域で
いっしょに現場に入る大工仲間の人たちは
浦さんの仕事ぶりにいつも感心するも、あまりのレベルの高さについてこれないこともあるとか・・・
九州の厳しい環境で鍛え上げられた浦さんのその対応力は
『 単価で手間を変えられ、宮大工も手伝えるほどの技術力 』 であり
大阪に来たときは建売住宅が主流で、周りにはそういった現場しか携わったことのない大工さんたちばかりで
当然 単価で手間を変えるという技術などなく、ただ目の前の仕事をこなすだけ・・・
どれだけ仕事の数をこなしていても、そこに質がなければ技術は磨かれていきませんし
ただ時間を掛けることが手間ではなく、工期内で質の高いモノを造り上げることがプロとしての仕事。
工期が延びて予算増では本末転倒です。
それを象徴するのが浦さんの代名詞とも呼ぶべきセンターエース。
三角関数を使って木の角度を出すというこの方法を独学で身に着け
これまで8角形をメインに造って来られましたが、自分の腕を鈍らせないためにと初の16角形に挑戦。
還暦を迎えても尚 仕事に対する向上心が衰えないそのバイタリティ。
一般的な大工さんなら10日はかかるかもしれないこの複雑なモノを浦さんは4日ほどで完成されました。
それもこれも浦さんの持つ技術と経験と知識があってこそ、なせる業です。
浦さんは変木を使った家造りをされていますが
ただ変木だけのことではなく、家の耐震性もちゃんと考えた上で施工されています。
特にリフォームの場合、築年数がかなり経っていることもあって
解体して老朽化している部分には金具で補強したり新たに梁を足したりするなど
銘木・変木を長く愛着を持って残していくためにも家の耐久性が重要なことは誰よりも知っておられます。
『 自分の仕事は和風も洋風もない 』 そのように話す浦さん。
単なる仕事ではなく、趣味の延長線上のような感覚も持っておられるため
既成概念に捉われることのない柔軟な発想と独自で積み重ねてきた引き出しの多さがあるため、どんなことにも対応できる。
それが浦工務店の最大のポイントです。
論より証拠。
浦さんが手掛けた現場を見たとき、改めてその言葉の説得力を感じました。