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緑豊かな風景が広がる建部町…
約100㎡の広さを持つこちらのお家では
秋に襲った台風の影響で屋根が剝がれてしまい
岡山市北区で90年の歴史を誇る
(株)高山板金さんに屋根工事を依頼
二週間目ということで
真新しい屋根が朝日に照らされていて
工事終盤となったこの日は
一階と二階の屋根の間となる
ノドという箇所に板金屋根を張るという
太陽が届かない家の裏側という事で
屋根や足場に霜が降りた中での作業となりました。
緑豊かな風景が広がる建部町…
約100㎡の広さを持つこちらのお家では
秋に襲った台風の影響で屋根が剝がれてしまい
岡山市北区で90年の歴史を誇る
(株)高山板金さんに屋根工事を依頼
二週間目ということで
真新しい屋根が朝日に照らされていて
工事終盤となったこの日は
一階と二階の屋根の間となる
ノドという箇所に板金屋根を張るという
太陽が届かない家の裏側という事で
屋根や足場に霜が降りた中での作業となりました。
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今回はカバー工法といって
既存の屋根の上に新しく屋根材を張って
完成させるという方法ですが
街中にあるような今時の家とは違い
築100年の茅葺き屋根となっていて
そのままでは屋根板金を張ることができないため
まず大工さんが木の枠組みで土台を作って
その上に高山さんが
断熱材入りのガルバリウム(屋根板金)を
新しく張っていくという
通常のスレート屋根へのカバー工法とは違った
昔の家(茅葺き屋根)ならではの方法です。
今回はカバー工法といって
既存の屋根の上に新しく屋根材を張って
完成させるという方法ですが
街中にあるような今時の家とは違い
築100年の茅葺き屋根となっていて
そのままでは屋根板金を張ることができないため
まず大工さんが木の枠組みで土台を作って
その上に高山さんが
断熱材入りのガルバリウム(屋根板金)を
新しく張っていくという
通常のスレート屋根へのカバー工法とは違った
昔の家(茅葺き屋根)ならではの方法です。
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そしてこちらが今回施工された
高山板金の屋根職人・高山佳樹さん
平成生まれの業界では若い世代ですが
高山板金さん自体は先ほどお伝えしたように
岡山市北区を拠点に
創業90年になる老舗の板金屋さん
元々は佳樹さんの曾祖父にあたる先代が
昭和10年頃に立ち上げ
ブリキでバケツなどを作って売っていたそうですが
二代目となる祖父の代から屋根・外壁・樋工事などの
建築板金にシフトチェンジ
90年経った今でも
岡山市北区での依頼がメインという事で
その確かな仕事ぶりが地元の人たちから信頼
そして親しまれていることが分かります。
そしてこちらが今回施工された
高山板金の屋根職人・高山佳樹さん
平成生まれの業界では若い世代ですが
高山板金さん自体は先ほどお伝えしたように
岡山市北区を拠点に
創業90年になる老舗の板金屋さん
元々は佳樹さんの曾祖父にあたる先代が
昭和10年頃に立ち上げ
ブリキでバケツなどを作って売っていたそうですが
二代目となる祖父の代から屋根・外壁・樋工事などの
建築板金にシフトチェンジ
90年経った今でも
岡山市北区での依頼がメインという事で
その確かな仕事ぶりが地元の人たちから信頼
そして親しまれていることが分かります。
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そんな職人家系の中で育ったこともあり
高山さんは中学生の頃には家業を継ごうと
県立岡山工業高校へ入学
建築関係の勉強をしていくうちに
一度は設計の仕事にも興味を持つようになり
大阪工業大学へ進学するも三回生の終わり頃に
職人であった父親が病気で他界し
当時、将来の道を模索していた高山さんは
やっぱり建築板金屋としてやっていきたいと
その意思を母親に伝え
大学卒業後には親しかった板金屋さんが
面倒みるという約束を父親としていたこともあって
備前市の板金屋さんで二年間修業…
そんな職人家系の中で育ったこともあり
高山さんは中学生の頃には家業を継ごうと
県立岡山工業高校へ入学
建築関係の勉強をしていくうちに
一度は設計の仕事にも興味を持つようになり
大阪工業大学へ進学するも三回生の終わり頃に
職人であった父親が病気で他界し
当時、将来の道を模索していた高山さんは
やっぱり建築板金屋としてやっていきたいと
その意思を母親に伝え
大学卒業後には親しかった板金屋さんが
面倒みるという約束を父親としていたこともあって
備前市の板金屋さんで二年間修業…
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とにかくはじめは何もわからず
道具の使い方から、板金の種類など
覚えることが多く大変な日々であっても
高山さんの中ではあまり苦労とは感じず
むしろ、先輩の仕事を見て盗み
時には聴いて教えてもらうなど
1つずつ成長している実感があったからこそ
「楽しい」という感覚があったそうですが
二年後、24歳で再び地元に戻って
高山板金の一員としてスタートした矢先
現場監督に技術的な面を酷く指摘され
結果的にそことの付き合いだけでなく
職人としての自信も失ったことで
自分を見つめ直すターニングポイントになり
仕事への姿勢がより高まったといいます。
とにかくはじめは何もわからず
道具の使い方から、板金の種類など
覚えることが多く大変な日々であっても
高山さんの中ではあまり苦労とは感じず
むしろ、先輩の仕事を見て盗み
時には聴いて教えてもらうなど
1つずつ成長している実感があったからこそ
「楽しい」という感覚があったそうですが
二年後、24歳で再び地元に戻って
高山板金の一員としてスタートした矢先
現場監督に技術的な面を酷く指摘され
結果的にそことの付き合いだけでなく
職人としての自信も失ったことで
自分を見つめ直すターニングポイントになり
仕事への姿勢がより高まったといいます。
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どれだけキャリアを積んでも
雨漏りの原因箇所を100%断定させることが
難しいのが屋根仕事の現実…
日々様々な現場に立っていると
そのことをより実感するという高山さん
職人によっても雨仕舞のやり方が違うことから
どう板金を加工すれば良いのか?
そうやって試行錯誤を繰り返しながら
自分なりのやり方という
「目指す理想」を追求されています。
どれだけキャリアを積んでも
雨漏りの原因箇所を100%断定させることが
難しいのが屋根仕事の現実…
日々様々な現場に立っていると
そのことをより実感するという高山さん
職人によっても雨仕舞のやり方が違うことから
どう板金を加工すれば良いのか?
そうやって試行錯誤を繰り返しながら
自分なりのやり方という
「目指す理想」を追求されています。
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今回の建部町のお宅では築100年という事で
どうしても妻側の木が真っ直ぐでなかったことから
ただ板金を重ねるのではなく
1つ1つ折り曲げるなど加工して継いであり
屋根の平部もご覧のように傾斜が急で
高さも広さもあるため
どのように施工すれば良いのか?と
周辺の同業者でも対応できない所があるそうで
屋根は家によって
形も大きさも使っている材料も様々…
だからこそ培った経験がものを言います。
今回の建部町のお宅では築100年という事で
どうしても妻側の木が真っ直ぐでなかったことから
ただ板金を重ねるのではなく
1つ1つ折り曲げるなど加工して継いであり
屋根の平部もご覧のように傾斜が急で
高さも広さもあるため
どのように施工すれば良いのか?と
周辺の同業者でも対応できない所があるそうで
屋根は家によって
形も大きさも使っている材料も様々…
だからこそ培った経験がものを言います。
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三代目である父親が亡くなり
今は母親が高山板金の四代目の社長として
現場にも出て作業をしているそうですが
数年後には自分が五代目となって
岡山市北区を中心に
更に知名度を高めていきたいと
今後の目標を語ってくださった高山さん
90歳になった祖父も
仕事の話をするとつい熱が入るという
根っからの職人気質の人だそうで
だからこそ(これまで積み上げてきた)
「高山板金の名を汚すようなことは絶対にできない…」
その言葉からはある種の覚悟が感じられました。
取材撮影&文 :
とくおか じゅん
三代目である父親が亡くなり
今は母親が高山板金の四代目の社長として
現場にも出て作業をしているそうですが
数年後には自分が五代目となって
岡山市北区を中心に
更に知名度を高めていきたいと
今後の目標を語ってくださった高山さん
90歳になった祖父も
仕事の話をするとつい熱が入るという
根っからの職人気質の人だそうで
だからこそ(これまで積み上げてきた)
「高山板金の名を汚すようなことは絶対にできない…」
その言葉からはある種の覚悟が感じられました。
取材撮影&文 :
とくおか じゅん