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今回は千葉県いすみ市の瓦職人 飛鳥瓦工房の戸田さんが京都市右京区にあります 平岡八幡宮の棟瓦の葺き替えをされると聴き 真夏の暑さが少し残る時期に伺いました。
平岡八幡宮は京北町へ向かう162号線沿いにあり 本殿は1826年に造られたモノで 山城国で最も古い八幡宮として知られている歴史のある神社です。
社寺仏閣は一般住宅の瓦屋根とは施工方法が違うため 誰でもできるモノではなく 京都の屋根職人 『 リルーフまつだ 』 さんからの応援で 技術と経験がある戸田さんが携わられることになりました。 |
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平岡八幡宮の入り口となる 石鳥居からしばらく参道を歩き 一番奥にありますこちらの本殿が今回の現場です。
台風によって棟瓦が剥がれ、破損してしまったそうで 普段は市内にある有名な神社の様に それほど人が多く訪れる場所ではないそうですが
これからの秋の参拝シーズンになると うってかわって人が増えることから それまでに葺き替え完了してほしいという 先方のご依頼により作業は進められていました。 |
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こちらが葺き替える前の写真です。
老朽化による破損も見られますが 棟瓦が一部、台風によって剥がれしてしまっているのが分かります。
このままの状態で放置してしまうと 雨水がどんどんしみ込んできて柱や梁を弱らせ 後々 建物自体に悪影響を及ぼしかねない重大な状態です。 |
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瓦の葺き替えはまず この古くなった瓦の撤去から始まります。
地上で作業するのとは大違いで 傾斜がある屋根の上でしかも足場が不安定 そんな中、一枚一枚剥がして 更にそれを屋根から地上へ下ろす作業を何度も繰り返します。
戸田さんに実際にかかった時間をお聴きすると 土嚢袋で上げ下げすること200回!? 天候が不安定な中でスタッフ数人でも2〜3日かかったそうです。 |
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剥がし終わった瓦を見ると かなりの年数が経っていることが分かる状態でした。
しかしこれで終わったわけではなく 今度は新しい瓦を屋根の上に持って行かなくては作業が進まず 完成には辿り着けないため
単純計算で剥がした瓦と 同じ量の瓦を積み上げるということを考えると 実際に瓦を積み上げるまでの下準備が大変であることが見て取れます。 |
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そんな瓦職人の仕事を戸田さんは 『 天職 』 だと仰います。
戸田さんは学生時代にアルバイトで瓦の仕事をしたことがキッカケで 本格的にこの世界に入られましたが 当時、就職先は別の仕事に決まっていたそうですが
瓦のアルバイトをした時の楽しい記憶がずっと残っていて それでこの仕事を生業とすることを決心。
そのキャリアはもう半世紀近くになり そんな戸田さんにとってこの下準備の作業は いつも大変であっても 良い仕事をするために必要な当たり前のことのような気がします。 |
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平岡八幡宮本殿の棟までの高さは約7〜8メートル。 数字だけで見ると実感が湧きにくいですが 頂上からの写真がこちら。
僕自身、これまで何度か屋根の上の取材をしてきましたが 今回の現場が一番 屋根の傾斜がキツく 足場があると言っても歩くたびに多少なりとも揺れがあるため 取材で上がる度にその恐怖がありました。
戸田さん自身も現場慣れしているとはいえ 一日が終わる度に足が疲れると 常に足場を気にしながら作業することの大変さが感じられます。 |
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今回も南蛮漆喰を使用します。
昔は葺き土と漆喰を別々でイチからこねて作っていましたが 今はほぼすべてと言ってもいいほど この南蛮漆喰が使われています。
南蛮漆喰は 炭酸カルシウム、消石灰、シウム、マニラ麻をフノリで練ったモノで 屋根で一番重要な防水性が高く 葺き土に比べて硬化性もあります。 |
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南蛮漆喰には黒と白の二種類の色がありますが 性能には差がなく
基本的に棟の隙間から漆喰が見える場合は白色を使い 今回は完成すると見えないため黒色が使われています。 |
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平岡八幡宮の棟には 大きな丸太が使用されていたことから のし瓦を何段にするか?松田さんと相談する戸田さん。
通常、のし瓦は棟の両サイドにある鬼瓦に合わせて 高さである段数が決まりますが 今回は丸太の木の歪みの影響で 微妙な高さのズレが生じていました。 |
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そこで実際に下りて確認する戸田さんと松田さん。
これまで数多くの現場で携わってきた実績ある職人さん二人で相談し 完工に向けた方向性が見えてきました。
社寺仏閣だけでなく一般住宅の瓦屋根の棟は 鬼瓦に向けて微妙にせり上がらせていくことで 下から見たときに真っ直ぐなキレイなラインが生まれます。
一般の方が屋根の上に行って 瓦を一枚一枚チェックしたり棟のせり上がりだけで 職人さんの腕の良し悪しを判断することは難しく
戸田さんによると 未熟な職人が無理にせり上がらせたりしていることもあり やはり経験があって信頼できる職人さんに診てもらうのがベストです。 |
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戸田さんは奈良県で瓦職人さんとしてのキャリアをスタートされ 一般住宅だけでなく奈良県の社寺仏閣を数多く施工され
東大寺大仏殿、国立博物館、奈良の公会堂、鎌倉大仏の裏の回廊 長崎県平戸城の門、成田山新勝寺の額堂、東京音楽大学の奏楽堂 春日大社、三重の松阪城の門、彦根城の一角などなど
『 百戦錬磨の瓦職人 』 という言葉が ピッタリと当て嵌まるほどの数々の実績の持ち主です。 |
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それもそのはず。 戸田さんは25歳の若さで 当時 最年少で瓦葺一級技能士を取得。
35歳の独立までに 数えきれないほどの現場で職人としてのレベルを高め続け
大阪で仕事をしているときに 知り合いに頼まれ東日本大震災の復興仕事で茨城県へ1年半 その後、千葉県の瓦屋さんにもその腕を買われ それをキッカケに奈良から千葉へと拠点を移されました。
修業時代はさすがにキツかったそうで 真夏の作業時には地下足袋に水をかけて 瓦を何足も担いで運んでいたと、その試練を乗り越えてきたからこそ 今、戸田さんを必要とする人たちがいるのだと思いました。 |
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作業中の戸田さんは真剣ですが・・・ |
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普段はとってもユニークな人です。
奈良県に住んでいるときに山伏を始められ 趣味の魚釣りでは捌いたりと料理もされます。
休みの日には奥さんと必ずどこかへ出掛けるアウトドア派。
そんな技術だけでなく 人間味のある魅力が多くの人から支持される理由の1つです。 |
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真夏の暑さが緩んできたとはいえ 昼間はかなり暑い中での作業です。
一日ダラダラやっても作業効率が上がらないことから 時間を決めてキリの良いところまでするというカタチで 作業を進められています。
戸田さんは この現場だけで何度 梯子を上り下りされたことでしょう。
その数だけ技術と経験が積み重なっていき 戸田さんという腕利きの瓦職人さんが生まれたんだなぁと思います。 |
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数日後、戸田さんから 作業がいよいよ大詰めという連絡をいただき 再び平岡八幡宮に行きました。
伺うと、のし瓦が積み上がり 棟の一番上になる最後の瓦を葺かれるところでした。 |
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実際にこうやって瓦の一枚一枚穴を開け 銅線を施すのが瓦職人さんの常識ではなく 『 人一倍手を加える 』 という戸田さんのこだわりであって
実際に関西の現場もいくつもされてきて 特に京都・大阪の一般民家の造りは悪く 家を支える柱や垂木が細く、火打ちや筋交い、ほぞ穴すらなかったりと
いざ瓦も剥がしてみると大まかに留めてあるだけで ルーフィングとルーフィングの間に瓦桟が打たれてないことで 土葺きの現場では土ごと瓦が雪崩のように崩れていて
そのあまりの施工の悪さに同じ職人として怒りにも似た感情があるように 戸田さんの話から感じられました。
心が痛むような話ですが これは実際に現場で働く職人さんの生の声です。 |
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戸田さんは言います。
昔は大工仕事と言えば 町の大工さんに直接頼むのが当たり前だったはずが
儲け主義の大手ハウスメーカーや工務店に依頼するような時代になって 昔ながらの木造建築に精通した職人さんが生きにくくなり 経験の浅い未熟な職人が増えたことで 技術も経験もない人間が無理な施工をするから造りの悪い家が増えたと。
その話を聴き、僕がカメラマンとして感じていたことを思い出しました。
それはマッチングサイトが増えたことで 経験の浅いカメラマンがアルバイト感覚で写真を撮るという 生業ということを何も考えず、追求せず、向上心もない人間が増えている 今の写真業界に蔓延っている現状にとても似ていると
情報ばかりが先走り、選択肢が増え過ぎて その人たちにとって本当に必要な情報が埋もれてしまっていることが 本当に残念で仕方ありません。 |
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戸田さんのこだわり その瓦の1つ1つの積み重ねで出来上がっていることを 完成した棟瓦を見させていただき改めて実感。
今回はあわじ瓦を使用しています。
粘土瓦には 石州瓦(島根県産)、三州瓦(愛知県産)、あわじ瓦(兵庫県産)とあり 社寺仏閣にはやはり瓦がよく似合います。
阪神大震災以降、瓦屋根からカラーベストが主流になった背景として 倒壊の原因が瓦の重さだと言われていますが 戸田さんは家の土台自体がもっとしっかりとしたモノを造っていれば あそこまで倒壊することはなかったと、瓦が原因ではないと仰っています。
そこまで熱く語る背景には これまで数多くの現場で日本瓦を葺いてきた職人さんだからこそ 誰よりも瓦の魅力を知っている熱いメッセージが込められているようでした。 |
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全国的に職人さんが不足している今の建築業界ですが 戸田さんの様に厳しさを乗り越えた先に本当のやりがいを見つけ 日々己の仕事と向き合い、追求し続ける
そして何より 『 気持ちを込められるような職人さん 』 が 一人でも多く増えていってほしいと思います。
その積み重ねが必ず建築業界を変えます。 お客さんのを思想を変えます。 現場で働く職人さんの意識を変えます。
上手くいかないことも多いけど それでも僕はこれからも職人さんと出会い、生の声を聴き 自分が信じた自分らしい発信をしていこうと思いました。
取材撮影&文 : とくおか じゅん |
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